6歳で発達障害(ADHD・ASD)と診断された我が息子。今回は出産直後からの私の壮絶な入院生活のお話です。本当に運が悪い私は、帝王切開手術が終わったにも関わらず、数時間後、体に異変を覚え、また開腹手術することになりました。そこで妊娠発覚と同時に見つかったチョコレート嚢胞も同時に手術することになりました。
帝王切開のリスク
私は夜中の帝王切開で出産後、体に異変が現れ、横隔膜が痙攣しているような、例えると内臓がずっとしゃっくりしているような症状が続き、その後呼吸が苦しくなり、午前10時にやっとCTを撮ることになりました。
CTを撮り終わりストレッチャーに乗せられ、病室に戻ろうとしたその瞬間、本当に呼吸ができなくなり、手が痺れ、視界もぼんやりし、もうここで死ぬんだと覚悟しました。
数時間前に息子が産まれたばかりでしたが、その時の私は瀕死状態と言ってもいい程で「ここは病院か、ちょうどいいや」と意外と冷静でした。
それこそ、ここは病院。
私はなんとか呼吸ができる状態になり、CTの検査結果を病室で死にそうな状態で待っていました。
やっと担当医師が病室に来て、今の状態について説明を受けました。
その時の私の状況は、帝王切開で縫った箇所の縫い目があまく、そこから血が漏れて体内に血栓が出来てしまい、呼吸が苦しくなっていると担当医師に告げられました。
先生失敗したんだ、、、と正直思いましたね。
帝王切開中も担当医師たちは雑談をし、楽しそうに私の手術をしていたんですよ。
以前知り合いの医師から、手術中の医師たちはリラックスしながら手術をすると言う話は聞いたことがあったのですが、本当にそうだったんですよ。
帝王切開は下半身麻酔なので、上半身は動きますし、はっきり見え、しっかりと聞こえていました。
ドラマのようなあまりに緊迫した空気の中で手術されても、下半身麻酔の私は全て聞こえているので、それはそれで怖すぎますし、リラックスしている医師たちを横目にこちらもなんとか帝王切開の手術に耐えることが出来ました。
私は不安障害、パニック障害持ちです。
息子は帝王切開で無事に取り出され、元気な産声を上げていましたが、そこから手術はなかなか終わる気配がありませんでした。
手術の途中で私は、パニックになりそうな予感がしたため、私の頭の後ろにいたおそらくリーダー的おじさんの医師に「あと何分ぐらいで終わりますか?」と尋ねてみたところ、「あと30分ぐらいかな?子宮は何層にもなっているからね。」と返答がありました。
もうすぐ終わるかと思っていた私は、あと30分もこの臓器を引っ張られている感覚に耐えなければならないのかと不安に襲われましたが、子宮は1層ではないことを初めて知ったと同時に、なんとか気を紛らわせ、パニックになることもなく、なんとも言えない不安な気持ち程度で、なんとか手術を無事に終えることが出来ました。
それなのに、パニックにならずなんとか乗り越えた帝王切開だったのに、まさかのもう一度開腹して縫い直すだなんて、、、
医師から説明があったように、縫合した縫い目があまかったということは、勝手なイメージですけどピシッと縫うはずの所がたるんでいたんですかね。
そしてしっかり縫い直すため、お腹を縫合した場所をもう一度開いて縫い直して閉じると言うのです。
先程帝王切開したばかりなのに、また開いて縫い直すなんて心底嫌でした。
しかし、それをやらないと私のこの苦しい状態は治らないので、やるしか選択肢はありません。
人間、失敗することもありますよね、、、
直接先生から申し訳なさそうに原因と現状を説明されましたし、、、
先生のことかなり信頼していたのにな、、、
この時、死ぬかもと思うぐらいとても苦しかったのですが、私の帝王切開手術をした医師に対してそう思ってしまったことを今でもはっきり覚えています。
子宮内膜症 チョコレート嚢胞12センチの妊婦
こんなことになってしまったのなら、、、と私は医師にあるお願いをしました。
「もう一度お腹を開くなら、ついでにチョコレート嚢胞も一緒に取ってください!!」と、、、
私は妊娠し、初めて産婦人科に行った際に、妊娠おめでとうございますと同時に右の卵巣が腫れていると言われ、結果的に子宮内膜症のチョコレート嚢胞という病気をずっと抱えていたことが発覚しました。
確かに生理痛もひどく経血量も多かったです。
夜用のナプキンを使っていても、数時間でナプキンの白い部分がなくなるくらい真っ赤になっていました。
このような卵巣の病気を持っていながら、自然に妊娠するのか医師に質問してみたところ、反対側(左)の卵巣から排卵して、それで妊娠したのだろうと言われました。
通常卵巣はアーモンドぐらいの大きさらしいのですが、私の場合は12㎝ほどに腫れあがり、捻れると激痛を伴うこと、そして赤ちゃんが大きくなるに連れて押し潰されたり、破裂する可能性もあると説明されました。
そのような場合はすぐに救急車を呼んでね!と軽い口調で説明されましたが、心の内は恐怖でしたね。
とりあえず出産して体調も回復してから、改めてチョコレート嚢胞の手術をしましょうと医師から言われました。
手術の方法は2パターンあり、傷が目立たない腹腔鏡手術か確実にしっかり悪い箇所を除去できる開腹手術があると説明されました。
どちらの手術方法にするかは、出産して体力が戻り落ち着いたら、また話し合って決めましょうとのことでした。
その他にも、体を捻った際に腫れた卵巣が捻れてしまう可能性があるので、体を捻る運動などしないように気をつけてくださいと言われたのをはっきりと覚えています。
なんでこんなことになってしまったんだろう、私の楽しみにしていた妊婦生活は、妊娠発覚と同時に一気にどん底に落とされた気分でした。
そういえば高校生の時、真冬なのに冷や汗が止まらないぐらいの腹痛に襲われたことがありました。
陣痛の痛みと比べると、その時の痛みの方が辛かったですね。
今思えばその激痛は、チョコレート嚢胞が原因だったのかもしれません。
私は妊娠中、いつ卵巣が捻れるのか、破裂するのかと毎日ビクビク怯えながらの妊婦生活を過ごしていました。
赤ちゃんが成長するに連れて腫れた卵巣は運良く背中の後ろの方にくるっと追いやられ、奇跡的に破裂することはありませんでした。
赤ちゃんが大きく育ち、腫れた卵巣はエコーで見えなくなってしまったことにより、そこから私はまたビクビクしながらの妊婦生活になりました。
チョコレート嚢胞 腫れた卵巣が奇跡的に小さくなった理由
妊婦健診の際に、毎回チョコレート嚢胞により腫れた卵巣の様子も一緒に見てもらいました。
発見当初の卵巣は12センチに腫れていると言われましたが、赤ちゃんが成長するにつれて9センチになり、腫れた卵巣が徐々に小さくなっていったのです。
最終的に赤ちゃんが大きくなり、エコーで卵巣の大きさを確認できるのがギリギリになった時には、妊娠発覚と同時に見つかった12センチあると言われていた卵巣が6センチになっていました。
医師曰く、生理が来ると徐々に嚢胞も大きくなるらしく、妊娠中は生理が止まるため、小さくなった可能性が高いとのことでした。
私はこのタイミングで妊娠してよかったなとつくづく思いました。
もし妊娠していなければ、私は産婦人科に行くこともなく、12センチに腫れ上がった卵巣をそのまま放置し、どんどん成長させ、きっとそのうち捻れたり、破裂させてしまい大変なことになっていたと思います。
息子が私の病気を教えてくれたのかなと今でもよく思い出します。
卵巣の腫れが以前よりも小さくなったからといっても、まだ6センチもありました。
そして幸運なことに、出産当日まで、腫れた卵巣が捻れたり破裂することもありませんでした。
私の12センチに腫れていた卵巣を、6センチにまで小さくしてくれてありがとう息子よ。
しかし6センチは手術適応サイズだと言われ、ピルを飲んで治るものではないですし、放置すると癌化する可能性があるようなので、結局手術をしないと完治はしないとのことでした。
帝王切開後に再び開腹しチョコレート嚢胞手術
帝王切開の縫い目があまく、そこから血が漏れ、血栓が出来てしまい呼吸困難になってしまっていると告げられた私。
医師から事実を聞かされ、頭も真っ白というよりは、苦しいうえに死にそうだから早くなんとかして!という思いでしたね。
そして、もう一度お腹を切って縫い直すなら、ついでにチョコレート嚢胞も取って欲しいと強引にお願いした私。
ここで取ってしまわないと、また数ヶ月後にお腹を切って、改めてチョコレート嚢胞の手術をしなければならなくなるのです。
何度も何度もお腹を切られたくありませんから、、、
今回の縫合失敗してしまったのはそちらの責任なので、こちらのわがままも聞いてもらわないと、、、
呼吸が苦しいので文句の1つも言えなかった私ですが、苦しみながらも内心そんなふうに思っていました。
医師は私の要望を受け入れてくれ、今回は全身麻酔での手術になることなど説明してくれました。
そして私は手術の同意書を書かなければならないのですが、死にそうな状態でペンを持つことも出来ず、、、
きっと家族の誰かが私の同意しますと名前を書いてくれてのでしょう。
先程は帝王切開で下半身麻酔でしたが、今度のチョコレート嚢胞の手術は全身麻酔で行われました。
チョコレート嚢胞手術 開腹手術のおかげで腸と癒着していたことが判明
私の突然の提案で急遽行われたチョコレート嚢胞手術。
目が覚めるとベッドの上で手術は無事に終わっていました。
手術後は目を開けるのがやっとの状態で、体にはいくつもの管が繋がっていました。
まず担当医師から、帝王切開の縫い目はしっかりと結び直しました!ということと、思っていた以上に長い手術だったらしく、腸と癒着していたためそれも全て綺麗に剥がしてくれたそうです。
私はまさか自分の腸と癒着していただなんて全く知らなかったですし、今回見つけていただいて本当に良かったなと思いました。
腹腔鏡手術は傷跡が小さく目立たないですし、体力の回復も早いのが利点です。
しかし開腹手術の方がどういう状況なのかがはっきりとわかるので、他にも悪い箇所が見つかれば、それもしっかりと治していただけるのが一番の利点だなと実感し、今回開腹手術をしてもらえて良かったなと思いました。
その他に今回の手術で大量出血しため輸血させてもらいました。との報告もありました。
私は血液型O型なのですが、テレビでO型は血が固まりにくいという性質を持っているため、深い傷などを負うと血が止まらず大量出血すると言っていたのを覚えています。
O型だから大量出血したのかな、、、
でも、血が固まりにくい性質を持っているのに、なぜ帝王切開の縫い目から血が漏れてすぐに血栓が出来てしまったのだろう、、、
血栓とは血が固まることですよね?
色々と疑問はありますが、無事に帝王切開の縫い目もしっかり縫い直して貰えたことと、10年以上私の卵巣にできていたチョコレート嚢胞も、腸との癒着部分も綺麗に剥がしてもらい一安心しました。
帝王切開からのチョコレート嚢胞の手術後の様子
無事に2つの手術は終わったのですが、その後の入院生活が壮絶でした。
体には何箇所か管が繋がれていて、とにかく痛みに耐える毎日でした。
おまけに熱も出てなかなか下がらず、、、
背中に痛み止めの薬を流すための管、お腹に繋がれているドレーンの管、尿道と繋がっている管、腕に点滴。私こんな状態で本当に大丈夫なの?元の元気な体に戻れるの?と不安になりました。
1人では寝返りすらできないので、定期的に看護師さんが寝返りをさせてくれたり、寝返りをしたい時はナースコールをして何度かお願いしてしまいました。
寝返りなんて自然にしている時はなんとも思わないのですが、いざ体が不自由になるとしたくなるんです。
寝返りをするのも一苦労で、とにかく体のあらゆる場所が痛い。
中にはとても親切な看護師さんがいて、これを使うと体勢が楽になるかもと言って、抱き枕のようなクッションを持ってきてくださり、それを使わせてもらったら少し楽になったのを覚えています。
熱もなかなか下がらなかったので、看護師さんが氷枕を持ってきて下さり定期的に交換してくれました。
こんな状態の私はずっとシャワーも浴びることができなかったですし、体をスムーズに動かせない私は、自分で体すら拭くことができず、毎回看護師さんが丁寧に拭いて下さいました。
尿道と繋がっている管を外した時は、違和感がなくなりスッキリした感覚と同時に、これから自分で歩いてトイレに行かなければならない現実が待っていました。
体力もなく、極度の貧血状態だったので、トイレに行きたくなった際には、ナースコールをして呼んでくださいと看護師さんに言われトイレに行きたくなる度にナースコールしていました。
水分をほとんど摂っていないにも関わらず、点滴のおかげで体内に水分が補充されていたため、定期的にトイレに行きたくなったのだと思います。
トイレが終わるまで看護師さんはトイレの入り口で待ってて下さいました。
毎回トイレなんかのためにナースコールしてしまい申し訳なかったです。
看護師さんてほんと神。
その後、看護師さんに迷惑をかけたくなく、一人でトイレに行こうと頑張るのですが、トイレから立ち上がった途端やはり貧血が原因なのか、めまいで倒れそうになり、トイレの呼び出しボタンを押し看護師さんを呼んでしまいました。
結局、このような状態が続くと、看護師さんに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、私はトイレ付きの個室の部屋に移りました。
その他にも、私の腹部はドレーンで繋がれていて、その管の先にはチャック付きのプラスチックの袋のような容器があり、その中には血まみれの体液がチャプチャプと溜まっているんです。
それが容器の上まで溜まると看護師さんが定期的に来て、バケツにジャーっと移し替え空にしてくれるのです。
こんな血まみれの謎の体液を処理してくれるなんて本当に申し訳ない気持ちでしたね。
この体液は2週間以上体内から出続け、2週間経ったその日にやっと透明の体液になりました。
そして出産から5日目には、出産祝いに病院からお祝い御膳という名の豪華なお重2段が用意されましたが、体調が悪い私は一口も食べることが出来ず、お白湯にお粥が少し浮いているような食事を少しずつしか食べることが出来ませんでした。
チュコレート嚢胞手術後なのに授乳しなければならない
そのような状態でしたが手術翌日から3時間おきにナースコールが鳴り「赤ちゃんのミルクの時間です」と呼び出されましたが、翌日、翌々日は授乳室まで歩けませんと伝え、看護師さんにミルクをお願いしていました。
それでも毎回3時間おきにナースコールが鳴り、仕方なく3日目からは頑張ることにしました。
私は大量出血で貧血になってしまいフラフラで、ご飯もほぼ食べていない状態で、点滴の棒を引きずり、お腹にくっいているドレーンと、プラスチックの血の体液が入ったプラスチックの袋を斜めがけの布ポシェットに入れ、廊下の手すりに掴まりながら倒れないようにありえないぐらいゆっくりなスピードで歩き、途中で息切れと動悸がするので休憩し、なんとか授乳室に向かい授乳しに通いました。
授乳室には元気なママさんしかいなく、点滴やドレーンを装着した顔色の悪い私は注目の的でしたね。
他のママさんと会話する余裕もなく、こんな私には誰も話しかけることもなく、授乳が終わったら自分の部屋までまた点滴をカラカラしながら手すりに掴まってゆっくり倒れないよう歩き、ベッドにたどり着いた時にはもうヘトヘトでした。
自分はそんなに重症ではないと思いたくて、大丈夫だと思いたくて、看護師さんに私より大変な患者さんって他にもいますよね?と尋ねると、「今この病棟であなたより重症な患者さんははいないですよ!」とはっきり言われとてもショックでした。
やはりこの病棟で私が一番重症なんだ、、、帝王切開して、縫い目から血が漏れ、同じ日にまたお腹を開けて、ついでにチョコレート嚢胞の手術をし、大量出血し、極度の貧血状態でしたからね。
貧血の状態は数値で表すと「9」必要なところが「2」しかないと説明されました。
とにかく血が足りなかったです。
それに出産で陣痛にも耐え、帝王切開も行い、体力を使い果たしてヘロヘロなのにこの有り様。
体力が戻らない、体調が良くならない、長引く入院生活
とにかく不調で、体力もなく、熱もあり、貧血で常に倒れそうな状態なのに、追い打ちをかけるように、謎の咳が突然出るようになってしまったのです。
鼻水や喉が痛いといった症状はなく、風邪ではないと思います。
体が弱っていた所に、ばい菌が喉に入って悪さをしたのか、謎の空咳が常に出るようになってしまいました。
咳をするたび、縫ったばかりのお腹の傷が開いてしまうのではないかと気がかりでした。
咳をするたび背中やお腹などが痛み、夜も咳が止まることはなく、貴重な授乳の合間の時間も寝ることが出来ませんでした。
入院して2週間目になろうとしていた頃、明日は私の誕生日。
誕生日なのに入院しているなんて嫌だ。そうだ!誕生日を理由に退院しょう!
そう思った私は「明日は私、誕生日なのでもう家に帰りたいです!」と看護師さんによくわからないお願いをしてしまいました。
入院疲れというかストレスだったのか、もう入院生活なんてうんざりでした。
看護師さんは、私の体に繋がっていたドレーンの傷口に当てがっていたガーゼに付着した体液の色を見て、「これが透明な色になれば帰れるかもしれない。」と言っていました。
手術後からずっと腹部から出続けている謎の体液。
初めは真っ赤な血の体液がずっと排出されていましたが、だんだんと血の色が薄い体液になり、ようやくもう少しで血液が混じっていない透明の体液になりそうなぐらいになり、ドレーンも外れ、量も減っていました。
それを目にしていたため、私はもうそろそろ退院できるかな?と期待していたのですが、病院側から退院していいですよという言葉を聞くことはなかったので、自分からなぜか誕生日を理由に帰りたいと言ってしまいました。
退院からその後も続いた体調不良
午後になり、奇跡的に腹部から出続けている謎の体液は透明な色に変わり、これなら大丈夫そうだと言われ私はやっと退院することが出来ました。
と言っても自ら強制退院しました。
退院するにあたって、赤ちゃんに関する今後の予定や、ミルクなどの説明を受けるために、違う階の小児科まで行かなければなりませんでした。
まだまだ体調不良、貧血状態の私は、フラフラしながら時には手すりを使いながら歩いたのですが、貧血だけではなく体力が低下してしまったため、やはり息切れ動悸で歩くのがとてつもなく遅く、こんなヨボヨボな状態でしたが、今日は家に帰ると決めていたので頑張りました。
説明を聞き、粉ミルクのサンプルを貰いなんとか自分の病室まで自力で歩き、帰る支度をしました。
そして両親が迎えにきてくれたので、子供を夫にまかせ、私は母親にもたれながら必死に歩き、なんとか車に乗り込みました。
普段でしたら歩いてすぐの駐車場でしたが、こんな状態の私にはとてつもなく遠く感じました。
自宅に帰宅し、赤ちゃんとの生活が始まりましたが、私の貧血は治らず、初めの頃はまだフラフラで息切れ動悸で何度も倒れそうになりました。
やはり退院するには早かったようですが、後悔はありませんでした。
病院から貧血の薬をもらっていたので、その薬と母親が作ってくれる栄養満点の食事で徐々に良くなっていきましたが、ドレーンを外した傷口からは体液がまだ出続けていたので、ガーゼを何重にも重ねて当てがっていました。
そして定期的に様子を見て、服に染みないようにガーゼを交換していました。
そんないつ止まるかわからない謎の体液でしたが、徐々に量も減っていき、傷口が塞がり長引いた流れ出す体液もやっと止まりました。
赤ちゃんのお世話があったため、抱っこしたり、3時間おきの授乳、夜しっかり寝ることが出来なかったため、常に寝不足だったせいか、貧血も、ドレーンを外した所から出続けていた体液も、治りが遅かったのではないでしょうか?
きっと睡眠をしっかりとり、安静にしていたらもっと早く良くなっていたのかなと思います。
私の体調が完全に回復したのは約半年後のことでした。
帝王切開とチョコレート嚢胞の手術を同時にやると手術後が本当に辛い
今回、帝王切開とチョコレート嚢胞の手術を同時にやってみた結果、思ったことがあります。
それは、妊娠中に医師に言われた「出産して体力が戻ってから、チョコレート嚢胞の手術をすればいい」というのがやはり正解だったのかもしれません。
私は帝王切開で開腹して、息子を取り出し、腹部を閉じたにも関わらず、縫い目から血が漏れている事実が発覚し、また開腹しなければならない状況でした。
数ヶ月後に体力が回復してから、またチョコレート嚢胞の手術で開腹するのは本当に嫌だったので、どうせ今からまた開腹しなければならないのなら、ついでにチョコレート嚢胞という病気を手術で取り除いて欲しかったんです。
チャンスだと思いました。
だって何回もお腹を切られるの怖いじゃないですか!
そんなビビリな私の勝手なお願いを聞いてくれたおかげで、まさか手術後がこんなにしんどいとは思いませんでした。
自業自得ですね。
妊娠中に言われた医師の言うことを聞かなかった結果です。
陣痛に耐えた10時間、分娩台に上がって息んで、なかなか産まれず、緊急帝王切開。
縫い目から血が漏れて血栓ができ呼吸困難、もう一度しっかり縫い直すために一睡もせず開腹手術。
この状態で一度手術を終えていたのなら、手術後はもっと体力の回復も早く、大量出血もせず、手術後ももっと回復が早かったのかなと、、、
でもチョコレート嚢胞はお腹に残ったまま、、、
なので、追加でチョコレート嚢胞の手術をし、腸との癒着が発覚したため、全てきれいに剥がしてもらい、結果長い手術になり、おまけに大量出血してしまったため、手術後は貧血に悩まされ、体力の戻りも遅く、こんなにしんどかったのかなと、、、本当にしんどかったです。
しかし、私は後悔していません。
手術後は本当にしんどかったのですが、今となっては全てその1回で終わったので!
落ち着いた頃に、改めてチョコレート嚢胞の手術をする方が怖すぎます。
私のような虚弱体質でも、手術前後にあんな死にそうな状態でも、一応生きていられるんだと確認することが出来ました。
人間って自分が思っているより、意外と頑丈に出来ているのかもしれません。
普段から虚弱体質で不安障害、パニック障害持ちの私が帝王切開をして、チョコレート嚢胞の手術もして、手術後あんな状態だったのに、今現在は元気に過ごしているんですから。
もし、これから帝王切開をする方やチョコレート嚢胞の手術をする方がいらっしゃったらきっと大丈夫です!!
どちらも手術なので、不安や緊張で心配な気持ちでいっぱいかもしれませんが、自分が思っているよりも意外と大丈夫だと思いますよ!
きっと一般的にはどちらか1つの手術しかやらないと思いますし、、、
もし私とまったく同じ状況で、同時に2つの手術をする方がいらっしゃるとしたのなら、大量出血した場合、手術後しんどいのは覚悟した方がいいかもしれません。
コメント